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横浜地方裁判所 昭和53年(わ)1196号 判決

主文

被告人を懲役五年に処する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は藤沢市内のレストランで調理師として稼働していたものであるが、昭和四七年ころから競輪、競馬に熱中し、当初は自己の小遣銭をこれにあてる程度であったものが、やがて家族の生活費等にも手を出し、さらに給料の前借りをし、ついには妻耕子に内緒でサラリーマンローンから借金して競輪等にあてるというありさまで、多数の金融業者からの借金とその利息においたてられるようになり、昭和四九年ころには約三〇万円、昭和五〇年ころには約七〇万円、昭和五二年二月ころにも約七〇万円というふうに三度にわたりいずれも返済に窮したあげく、妻に泣きつき母等にかわって返済してもらうということをくりかえしたため、妻耕子は被告人に対し、同月ころ、再度同様のことがあれば離婚も辞さない旨言い渡し、被告人も競輪等をやめ再出発する旨誓っていた。

ところが一ヶ月もすると被告人は妻に内緒でまたも競輪場等に足繁くかようようになり、金に困って一〇数社のサラリーマンローンから借金をし、昭和五二年一一月には元金利息とも合計約一〇〇万円の負債をかかえ、これ以上借金のあてもなく、同月分の自己の給料から五万円位を前借りして右利息の支払にあてたが、給料日である同月二五日には妻にも右前借りの事実が知れ、被告人が約束を破って競輪等をやり借金を重ねていたことも発覚するのがあきらかで、これ以上隠しおおせない状態にたち至り、自分ながらなさけなくもあり、妻や母の再三の苦労を思い、自分の弱い性格は死ななければなおらないと思いつめるようになり、同月二二日ころにはいっそ死のうと考え、ついては給料の前借りの事実が発覚する同月二五日に自殺しようと決意するに至った。

被告人は、昭和五二年一一月二五日朝、妻耕子が子供二人を保育園にあずけ、勤めに出たあと、鎌倉市材木座一丁目七番三五号所在のアパート武井荘(武井アグリ所有、木造瓦葺二階建延面積一四四・〇八平方メートル)二階の自宅六畳間に敷かれた布団に横たわり、あれこれ思い悩んだあげく、ふといわゆるガス自殺をしようと思いたち、同日午前一〇時ころ、自宅各室の戸を密閉して、台所に設置されている二口カランの一方から、ゴム管をもってガスを引いていた同台所のテーブルコンロ(自動点火方式)のコックツマミを開放して天然ガスを流出させ、いったん右布団に戻り横たわっていたが、ガスがなかなか充満しないため、さらに同日午前一〇時三〇分ころ、右ゴム管をその接続カランのガス放出口から約一二センチメートル残して菜切り包丁で切断し、同切断部分から引き続きガスを流出させるとともに、右テーブルコンロに接続していたゴム管を右切断部分から約一〇センチメートル取り切って、これを自宅四畳半の間に設置されてある一口カランのガス放出口に差し込み、同コックのつまみを開放して同カランからもガスを流出させて、右台所、四畳半の間および六畳の間にガスを充満させたが、自殺できなかったことから充満したガスを爆発させて自殺しようと企て、同日午後二時一〇分ころ、コックツマミを廻すと同時に発火するいわゆる自動点火装置のある前記テーブルコンロのコックツマミを廻して発火させ、その火を右各室に充満していたガスに引火させて爆発させ、よって別表(一)記載のとおり、右アパートほか一一棟の現に人の住居に使用する建造物を損壊させるとともに、別表(二)記載のとおり、右アパートに居住する掛樋昌弘ほか二〇戸の他家の建具、家具等を損壊させて公共の危険を生ぜしめたものである。

(証拠の標目)

《証拠表示省略》

なお、被告人はガスコンロの自動点火のコックツマミを廻して発火させたことは記憶になく、かような事実はなかった旨主張する。

しかしながら、《証拠省略》によれば、被告人は本件爆発後まもない当日午後三時四〇分ころ、かつぎこまれた病院で、同病院の医師の立会の下で、警察官の自殺及び爆発原因に関する質問に答えて、なかなか死ねないのでガスコンロをいじくった旨任意供述し、これが右警察官によって録音テープに採取されており、同じころ同様医師の立会承諾の下に消防士に対しても、ガスを出したがちっとも死ねないからガスコンロを自動点火した旨供述しているところ、《証拠省略》によれば、被告人はガス充満によっては死ぬことができず、息苦しかったため、ふらふらしながら爆発直前に台所に赴いていること、爆発後ガスコンロのコックツマミは点火の方向に廻された状態で発見されていること、爆発後被告人は自宅台所真下の清水宅の台所に転落し救出されたこと、右ガスコンロ以外に爆発現場から着火源と指摘しうる具体的可能性のあるものが発見されていないこと等の事実が認められ、右各事実に照らすと前記被告人の供述内容は十分信用に値し、被告人が判示のごとく点火行為を為したものと認定することができる。弁護人は右録音テープは被告人に録音していることを告知しないで採取した違法のものであると主張するけれども、右録音の採取過程は上記認定のとおりで、被告人の任意の供述をそのまま録音したものであることが明らかであるから、被告人にこれが告知されなかったとしても、違法な証拠採取ということはできず、その供述内容は刑訴法三二二条により証拠能力を認めるのが相当である。

(法令の適用)

被告人の判示所為は包括して刑法一一七条一項、一〇八条に該当するので、所定刑中有期懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役五年に処することとする。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、本件犯行当時被告人は午前一〇時ころから午後二時一〇分ころまでの四時間一〇分の間密閉した室内でガスを吸引し、もうろうとした状態にあり、心神喪失ないし心神耗弱の状態にあったものと主張する。

しかしながら、《証拠省略》によれば、被告人は判示の経緯で自殺を企て、ガスを室内に充満させたもののなかなか死ぬことができず、息苦しいため、ガスコンロの自動点火のコックツマミを廻し、爆発させたものであって、この一連の行動には脈絡があって通常人にも容易に納得しうるものであること、被告人自身爆発時の点火の模様について、前記のとおり病院にかつぎこまれた段階では警察官等にその情況を供述しており、退院後の昭和五三年二月以降の取調に際しては明確な記憶がないと主張するものの、爆発の直前直後の情況、たとえば爆発前死ねないままに台所に入ったことや爆発後階下台所におちているところを救出されたこと等については終始これを供述し、記憶していること、天然ガスは顕著な酸素欠乏に至らない限りこれを吸引するだけで直ちに人の身体、精神に異常を生ぜしめるものではなく、本件の場合顕著な酸素欠乏状態にはなかったこと等の事実が認められ、以上の事実からすると被告人は本件犯行時息苦しい状況にはあったものの、意識の障害があったわけではなく、是非弁別能力、判断能力を全く欠き、あるいは著しく欠く状態にはなかったものと認められる。

従って、弁護人の主張は採用できない。

(量刑の事情)

被告人の本件犯行は、いわゆるギャンブルに熱中し借金を重ね、親族から再三債務の清算をして貰ったにも拘らずこれを改めず、あいかわらずこれに熱中し自ら窮地に陥り、自暴自棄的状態下で自殺を企て、白昼住宅密集地のアパート自室でガスを流出爆発させ、広範囲の無関係な近隣住民多数に損害を与えたという危険きわまりない事案であり、その動機たるや、右のごとく被告人自らの無計画かつ自堕落な生活態度に起因するもので、全く同情の余地なく、幸い負傷者が軽傷者数名に止まったものの、近隣住民に与えた物的精神的損害には甚大なるものがあり、被告人にはその十分な弁償能力はなく、今後その見込みもない等犯情極めて悪質で厳重処罰は免れない。従って、被告人に前科がないこと、被害者の一部の者らの被害感情が被告人の妻らの謝罪等の努力により宥恕の方向にあること、反省の情も認められること、被告人の将来、家庭の情況等を考慮しても主文掲記の処断はやむをえない。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤野博雄 裁判官 宗方武 矢延正平)

〈以下省略〉

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